個人の工夫で変えられるのは「0か100」ではない
前回の記事では、アスレティックトレーナー(AT)のワークライフバランス(WLB)は組織の「制度・運用・文化」が土台だと解説しました。
とはいえ現実には、すぐに増員や制度変更が起きない組織がほとんどです。
本記事では現場の中でAT本人が「今日から動かせる」領域を解説します。
NATAのポジションステートメントは、WLBを促進する戦略として「組織戦略」と「個人戦略」の併用を推奨しています。
つまり、個人スキルは「自己責任で頑張れ」ではなく、現場を持続可能にするための“運用技術”です。
本記事では、組織を変える前提を持ちつつも、AT自身が「職場内」で使えるスキルに絞ってまとめます。
- 境界線(バウンダリー=仕事と私生活の境目)を“揉めずに”引く方法
- 連絡・依頼・追加業務に振り回されない時間設計
- 監督・運営との期待値調整で、消耗を減らす伝え方


境界線は「強さ」ではなく“設計”で作る

境界線(バウンダリー=仕事と私生活の境目)は、メンタルの強さではなくルール設計で決まります。
ATのWLBに関する提言でも、境界線の確保が重要テーマとして扱われています
まずは境界線を「3点セット」で決める
- 入口(連絡手段)を分ける
- 時間(対応可能時間)を決める
- 緊急(例外条件)を定義する
この3つが揃うと、「いつでも即レス」から「安全に必要なときは確実に動く」へ運用が変わります。
連絡手段を分ける
- 通常連絡:LINEグループ/アプリ/メール(履歴が残るもの)
- 緊急連絡:電話(1本化)
入口が複数だと、緊急が分散し、結局ずっと気になります。
「緊急の入口を一本化する」は、WLBだけでなく緊急対応の質も上がります。
ポイントは「緊急=電話」と決めておくことです。
連絡可能時間を決める
例えば、下記のように連絡可能時間を決めておきます。
- 通常連絡:8:00〜20:00
- 返信目安:24時間以内(夜間は翌日)
重要なのは「返信が遅い=無視」にならない設計です。
先に目安を出しておくと、相手の不安も減ります。
「緊急」を定義する
緊急の定義がないと、すべてが緊急になります。
緊急の定義は、競技レベルに関係なく「安全に直結するもの」だけに絞ります。
- 意識障害、呼吸困難、大出血、けいれん
- 骨折・脱臼が疑われる、荷重不可の強い痛み
- 頭部外傷で強い症状(嘔吐、強い頭痛、ぼんやり等)
WFC(Work–Family Conflict:仕事が家庭・私生活を圧迫する状態)は、セカンダリースクール(高校相当)のATでも広く経験され、組織的支援が助けになると報告されています。
緊急の定義と支援体制は、まさにその入口です。
「全部やる」から「安全を守って回す」へ

ATの仕事が辛くなる最大要因は、タスク量そのものより「優先順位が毎回その場で変わる」ことです。
そこで“判断のルール”を先に持ちます。
迷ったらこの3分類
A:今すぐ(安全に関わる/今日の競技可否に関わる)
B:今日中(痛み悪化を防ぐ/受診判断が必要)
C:計画対応(復帰計画、予防、書類、教育など)
コツは、Cを夜に押し込まないこと。
Cは「時間を確保しないと永遠に終わらない仕事」です。
“やめる”を決める「ストップリスト」
忙しい現場ほど「何をやめるか」を決めないと業務が増殖します。
- 記録の粒度を揃える(全員同じフォーマットで短く)
- 連絡の窓口を一本化する(個人DMを減らす)
- 同じ説明はテンプレ化(復帰の流れ、受診案内など)
この設計は、単独配置や掛け持ちで特に効きます。
期待値調整は“合意形成”
断るのが苦手なATほど、毎回の依頼で消耗します。
解決策は「断る練習」より、先に合意することです。
NATAも、コミュニケーションと期待値調整を含む戦略を推奨しています。
シーズン前に30分で合意しておく4項目
- 試合帯同の範囲(全試合か、優先順位か)
- 連絡ルール(緊急定義、対応時間)
- 追加業務の入口(誰経由で依頼するか/当日増やさない)
- 復帰判断の流れ(AT→医師→コーチの順など)
これを押さえると、断る回数そのものが減ります。
そのまま使える「交渉フレーズ」集

強く言うより、選択肢と条件提示が効きます。
依頼を受ける前に“条件確認”
- 「できます。確認ですが、優先順位はAとBどちらですか?」
- 「今日中にやるなら、代わりに○○は明日に回していいですか?」
“No”を「代替案」に変える
- 「今すぐだと安全確認が不十分です。①いったん中止して評価、②練習後に再評価、どちらで進めますか?」
- 「今週は遠征対応が入っています。①対象を絞る、②代替カバーを立てる、どちらが現実的ですか?」
返信が遅れる時の一言
- 「確認してから返します。○時までに一度返答します」
回復(睡眠・休養)はパフォーマンスの土台

ATは「判断の仕事」です。
回復が崩れると、評価の質・対人対応・安全判断の精度に影響が出ます。
大学ATを対象とした研究では、労働時間が長く、睡眠が短い群でバーンアウトが高い傾向が報告されています。
またATのバーンアウトに関するシステマティックレビューでも、要因・影響(職務満足度や離職など)が整理されています。
現場で通しやすい言い方はこれです。
「休みたい」ではなく「判断の質と安全のために回復が必要」です。
今日から7日でできる「境界線リセット」手順
難しい改革は要りません。
まずは7日で“整う感覚”を作ります。
- 1日目:緊急の定義を3行で作る(安全に直結だけ)
- 2日目:緊急=電話、通常=テキストに入口を分ける
- 3日目:対応時間と返信目安を決めて周知する
- 4日目:記録テンプレを1つに統一する(短く)
- 5日目:週のどこかに「C(計画対応)」の時間を30分確保
- 6日目:増えたタスクを棚卸しし、1つだけ“やめる”
- 7日目:監督・運営に「30分ミーティング」を提案(第2回参照)
まとめ
- 個人スキルの核心は「境界線(入口・時間・緊急定義)」の設計です。
- 優先順位は“3分類”で固定し、「やめる」を決めると増殖が止まります。
- 断るより先に、シーズン前の合意形成で摩擦を減らすのが近道です。
- 回復は安全と判断の質に直結します。
- 労働時間・睡眠とバーンアウトの関連も報告されています。

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